自身の成功体験を伝えるのは、正しいレビューではない
ほかの方の小説の感想を書いていた中で、ふと思い出したので一つ。
どこの会社でも評価面談というものがあると思います。そこで上司から半期なり四半期なりの仕事ぶりに対するレビューをもらい、次期の目標のすり合わせなどを行うアレですね。
今回は、こうしたレビューに際して自分の成功体験を伝える上司が多いことへの違和感の話です。
レビューには大きく2つの機能があると思っています。
- その世界で求められるものを把握した上で、不足している点を指摘する
- その世界で求められるものを把握した上で、できている点を指摘する
前者はわかりやすいですね。不足している点は補わないといけません。
ただし、このとき大切なのは、前についている「その世界で求められるものを把握した上で」という点。
これまで上司から受けたレビューや知人からもらったアドバイスを思い出してみると、本当に有益だったものもある一方、正直そこまで役に立たないと判断して右から左へ聞き流していたものもあります。苦笑。
その違いはどこにあるかというと「主観」と「客観」です。
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「主観的なレビュー」とは、要は「その世界で求められるものを把握していない」レビューです。
これは一見するとアドバイスになっているように見えます。ですが、実際には個人の感想を述べているに過ぎません。
特に多いのが「俺はこうして成功したから、そうやってみるといいよ」というアドバイス。
これは確かに参考になります。ですが、あくまでも「参考」止まりです。
相手の状況を踏まえずに、単に自分の方法論を伝えるのは「アドバイス」とはいえません。それはいわば、生徒から「この問題の解き方がわかりません」といわれたとき、「この参考書、読んでみて」と言っているのと同じだと思います。
大切なのは、生徒はなにがわからないのかを把握し、その上で適切なアドバイスをすること。単に参考となるものを渡して終わりでは、教師はいないも同然です。
単に自身の成功体験を伝えるだけの上司は、いわば「いないも同然」なわけです。
こうした上司でも問題がないのは、自分自身を客観的に振り返ることができる部下だけだと思います。上司のアドバイスを参考に留め、それが本当に今の自分に必要なのかをきちんと分析した上で、取り入れるべきは取り入れ、削るべきは削る、そうした取捨選択を正しく行える部下ですね。
それ以外の人は、おそらく鵜呑みにしてしまうと思います。
そして鵜呑みにした結果、もしアドバイスが功を奏せば良いですが、そうならない可能性もあります。なぜか? 上司と部下は性格も価値観も違いますし、なにより生きている時代が違います。同じビジネスシーンを生きている上司と部下なら問題ないでしょうが、20年前に営業をやっていた上司と現在進行形で営業の部下では、ビジネスの舞台が違います。
的を射ていないアドバイスは、努力の方向性を間違わせることにもなりかねません。
では、その的を射るとは?
それが「自分たちの世界(業界や会社など)において求められているものを把握すること」です。
それを把握し、部下の現状や性格・価値観などの特性を照合した上で、彼・彼女にはなにが必要なのかを世情に照らしてアドバイスするのが、本来あるべきレビューの形だと個人的には思っています。これが「客観的なレビュー」ですね。
・・・もっとも、そう簡単にうまくいくわけもないのですが。苦笑。
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2番目の自信の話は、前述した「努力の方向性」の話です。
レビューにおいては、必ず「不足している点」と「その改善案」だけでなく「良かった点」についても伝えなければなりません。
ですが、それは「部下を褒めてモチベーションを上げてもらうため」ではありません。それはあくまでも副次的な効果です。
良い点・できている点を伝えるのが大切なのは、彼・彼女が積み上げてきた「努力の方向性」が間違っていないという安心感を与えられるからです。
誰もが皆、自分にとって足りない点・直すべき点を改善しようと日々努力しています。
ですが、その努力がそもそも正しいやり方なのか・・・いやそもそも、その不足は優先して補うべきものなのか・・・そうした不安がつきまとうものだと思います。ビジネスに限らず、ほぼ何事においても絶対的な正解は存在しないため、努力は常にその方向性を間違う可能性があります。
だからこそ、その努力が必要なこと、その努力のやり方が間違っていないことを伝えて「今の自分は間違っていない」という自信を与えてあげることも、上司の大切な仕事だと思っています。
といったところで。
眠いので寝ます。