cachikuのブログ

元「本を読んだ気になるブログ」です。個人の備忘録である点は変わりません。

【ラノベ創作論】作品冒頭のバトルであえて設定の説明を一切しない理由

この創作論はカクヨムでも掲載しているのですが(カクヨムでアップしたものを読み直し、推敲してからブログに挙げています)、そちらで頂いたコメントから開いた蓋があったので、今回はそちらについて振り返りたいと思います。

 

ちなみに、前回の記事を踏まえた上での話になりますので、もしよろしければそちらからご覧ください↓

 

smug.hatenablog.com

それでは。

 

 

そもそも説明をしないほうが良い場面もあるのでは?

これが今回のテーマです。

前回の記事では「いかに説明から説明臭さを抜くか?」という話を振り返りました。

それに対して「ストーリーの展開だけで見せていくというやり方もあるのでは?」(=設定などの説明をしない)とのコメントを頂き、今回はそちらを踏まえてタイトルの話をします。

 

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設定の説明を省いてストーリーの展開のみで見せていくという手法は、筆者も「アリ」だと思っています。特に作品の冒頭で一戦、この手法でバトルを起こすという見せ方をよくやります。

 

この目的は「バトルの雰囲気や特徴を感覚的につかんでいただくため」です。

 

読者の方に作品へ入り込んでもらうためには、とりあえず「どんな世界観なのか」「何が起こる世界なのか」を見てもらうのが一番だと思っています。バトルものの場合は、作品の要であるバトルがどんなものなのか。恋愛ものの場合は、主人公とヒロインはどんな関係性なのか。

恋愛ものを例としますと、作品冒頭で「どんな恋愛関係なのか?」を示します。ロミジュリ的な悲愛の関係にあるのか、高望みの関係にあるのか、ドSとドMの関係にあるのか、未来からやってきたのか・・・。そうした設定をストーリー展開だけで見せる、そんなイメージです。

こうして作品の魅力やストーリーの要を端的に示すことが、読者に作品世界へ没入してもらうための前準備として大切だと思っています。

 

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このとき、説明を盛り込み過ぎますと、作品冒頭から説明臭さが充満しますから、読者の方からすると鬱陶しいでしょう。バトルだとスピード感も臨場感も落ちますしね。そのため、ここでは説明は一切しません。

 

ただ、地の文を主人公視点で書かれる場合は、結構がっつり説明しても問題ないのではとも思います。なぜなら、地の文とセリフにつながりがあるからです。

地の文とセリフの視点が違うと、両者は別の人物が話している見え方になりますから、それだけで説明臭さが出ます。

それなら「キャラクターにセリフで説明してもらえば、ある程度の説明を盛り込める」という手法も発想できそうですが、筆者はそれはNGだと考えています。というのも、その世界における価値観や設定はキャラクターたちにとって自明のものであり、説明するはずがないからです。

 

ただ、それが可能なケースもあると思います。異世界転生ものがわかりやすいですね。主人公が何も知らないわけですから、むしろ説明してあげないといけません。そして、それを地の文でやると説明臭さを伴いますから、キャラクターに説明してもらおうほうが無難だと思います。

 

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バトルものの場合。

その作中におけるバトルがどのようなものなのか、どんな点が魅力なのかを冒頭で見せることは、読者を作品世界に引っ張り込む上で効果的だと思います。

また設定の説明とメインとなる第1のバトルを一緒に展開してしまうと、スピード感や臨場感が落ちてしまい、バトルの第一印象が悪くなるという懸念もあると考えています。そうした意味でも、メインとなる最初のバトルの前に、上記のようなあえて一切の説明を省いた、シンプルに絵面のみを伝えるイントロ的なバトルシーンはあったほうが良いのではないかと。

 

そして、このときに重要なのが、過去記事でも掲載しました「スピード感」と「臨場感」です。

 

smug.hatenablog.com

先述したとおり、まだ作品冒頭ですから、説明臭さはご法度です。スピード感も落ちますし、臨場感もなくなってしまいます。そのため、説明を極力省いた見せ方をするというわけです。

 

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ただ、この方法にはやはりリスクがあるとも思っています。

 

たとえば、魔法バトルで、魔法同士に相性があるとします。火は水に弱く、水は風に弱く、風は土に弱く、土は火に弱いといった感じです。

この時、作品の冒頭でその相性を前提としたバトルを説明なしで展開すると、読者によっては「え? 水に強いのは雷でしょ?」などの違和感を抱くのでは、と筆者は懸念しています。

 

なぜか?

それは読者によって、小説やゲーム、アニメ、コミック経験が異なるからです。

 

上記の相性でいえば、ポケモン登場以前の世代と以後の世代で、この相性に対する感覚は少し違うのではないかと思います。特に水は雷に弱い、雷は岩(土)に弱いというのは、ポケモン世代に特有の感覚ではないかと(それまでのゲームなどだと、雷は四元素の上位に位置するものとして存在していたように思います)

これによって、作品への没入が阻害されてしまうと思います。

 

そして魔法の相性に限らず、こうしたギャップは著者と読者の間の至るところに存在し得ると思います。そのため、このリスクを避けるために、

「物語の冒頭で読者にインパクトを与えるため」

「世界観をざっくりつかんでもらうため」

などのケースを除いては、「設定を省き、ストーリーだけ進行させることで代弁させる手法」は、極力使わないほうが良いのではないかと思います。