読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

cachikuのブログ

元「本を読んだ気になるブログ」です。個人の備忘録である点は変わりません。

想像と空想は違う

連休があまりに暇すぎて、ある会社で人事をやっている知人と会ってきました。大型連休にカフェで独身野郎2人とか、虚しいことこの上ないですが。笑。

そこで、彼がこんな愚痴を零していました。

 

「うちの人事は、履歴書やエントリーシートを見極める能力が低くて困る」

 

それはアップさせるのが君の仕事では……と思ったのですが、敢えて口は出さずに話だけ聴いていました。苦笑。筆者は就活関連の仕事をしていたことはあっても、人事として書類選考をした経験はないので。

ただ、そんな素人なりに一つ感じたのは、皆さん「応募者の方について空想を逞しくしてしまっているのではないか」ということでした。

というわけで、想像と空想について、自戒を込めて……。

 

 

想像と空想は違う

コトバンク(出典元:ブリタニカ国際大百科事典 小項目辞典)には、想像と空想が、それぞれ次のような意味で記載されています。

 

想像【そう - ぞう / imagination】

過去の経験 (現実の体験によらないものも含まれる) によって得られた心像を新しい形に再構成する精神作用。課題解決に向い意図的,目的的に行われる創造的想像ないし生産的想像や現実生活に積極的役割をもたない空想などに分けることができる。この作用は個人の無意識的欲求,感情,理想などと関係していると考えられる。

コトバンク「想像とは」より)

 

空想【くう - そう / fantasy】

心理学的には,比較的非現実的でかつ創造的な想像活動の一形式。直面している現実の課題状況を直接解決しようとするような目的性をはっきりともたずに,そのときの感情や欲求,その他,気まぐれな内的状態によって方向づけられて,新しい観念や心像をつくりだす働きのこと。

コトバンク「空想とは」より)

 

ブリタニカ以外の辞書には、また違った意味で記載されていましたが、筆者としてはこの説明が最も適切ではないかと思っています。個人的に、想像とは「事実に基づいて行われるもの」で、一方の空想とは「事実に基づかずに行われるもの」だと考えているからです。

 

たとえば、ある方の職務経歴に、次のように書いてあったとしましょう。

 

  • 2000.04 A社・入社
  • 2001.03 A社・退職
  • 2001.04 B社・入社
  • 2002.03 B社・退職
  • 2002.04 C社・入社
  • 2004.03 C社・退職

 

この経歴を見たとき、おそらく多くの人事の方がジョブホッパーだなぁ……」と思うのではないでしょうか。1社1年(C社のみ2年。それでも2年)ですから、普通はそうですよね。

ですが、本当にジョブホッパーかどうかは、この情報からだけはわかりません。それはもちろん「転職理由が書いてないから」ですね。よって「ジョブホッパーだから入社してもすぐに辞めそう」という落選理由は、やや根拠に乏しいということになります。

 

(注記:ここでは便宜上、ジョブホッパーという名称を「明確な理由がなく、ただ『なんとなく』など曖昧な理由で転職を繰り返す人」の意味で使用しています)

 

逆に、経歴とは別に「転職理由」を書く欄があり、そこが筋の通った内容になっていなければ、「ジョブホッパーだから入社してもすぐに辞めそう」という落選理由は妥当な判断ということになります。それは根拠があるからですね。

(不思議なのですが、履歴書って「志望理由」を書く欄はありますけど、「転職理由」を書く欄ってありませんよね? こちらの方が重要だと思うのですが……)

 

記事のタイトルに揃えますと、前者の「職務経歴」から応募者を「ジョブホッパーっぽい」と考える思考、これが「空想」で、後者の「転職理由」から応募者を「ジョブホッパーっぽい」と考える思考、これが「想像」です。

ジョブホッパーかどうかを判断するためには「転職理由」が必要です。ジョブホッパーとは「明確な理由がなく、なんとなく転職している人」だからですね。入社・退社という事実の履歴だけでは、判断材料が足りません。

 

事実に基づいて思考を広げる、書いてあることから思考する、これが「想像」です。書いていない部分を恣意的に肉づけするのは、想像ではなく「空想」です。一般的には、両方とも「想像」で括られるかと思いますが、個人的には完全に別物として考えておくべきだと思います。

 

自分の世界を広げる想像、自分を殻に閉じこめる空想

また、想像は自分の世界を広げる上で非常に有益ですが、ひとたび使い方を間違えると(つまり空想的に使用すると)、自分の殻に閉じこもるのを加速させてしまうという弊害もあると思います。

 

     *

 

たとえば、仕事において「自分なりの理屈がはまっているだけ」という方をしばしば目にします。

最近、webサイトを運営している知人に頼まれて仕事を手伝っていたときに「マジックナンバー」に関する記事を見かけました。「マジックナンバー」とは、もともとプログラマーの世界で使われはじめた、本人にしか意味を理解できない識別子のようなものらしいです。そこからどう転じたのか、ライティングの世界では「記事の説得力を増すために、理解度を高めるために都合の良い数字」として認識されていました。

 

そのとき拝見した記事には、「3」という数字が、記事の説得力を増す上で非常に重要だと書いてありました。ただ、その理由は「脚が2本しかないイスはすぐ倒れてしまう。椅子を安定させるのに必要な脚の本数は3本。文章も同じ」というもの。

(恥ずかしながら、ソースとなる記事を失念してしまいました……)

 

これは「空想」を膨らませすぎたことで自分の殻に閉じこもってしまった、典型的な例だと感じます。つまり「3はライティングにおけるマジックナンバーだ」という持論を補強したいがために、無理やり理由を捏造(空想)してしまったのだと。

 

たしかに、実際には科学的根拠があって、しかし説明に際しては、わかりやすさや納得感を優先して、敢えてそうした書き方をしているのかもしれません。

そして、筆者がここに書いたことも、自分なりの理屈がはまっただけの可能性があります。先の「想像」と「空想」に照らして考えるなら、筆者は今、先のブログに書かれていないこと(そうした科学的根拠があるのかないのか? もしあるなら、なぜそれを書かなかったのか?)を、先方の状況に基づかずに判断しているからです。

 

言い換えれば、だからこそ書き手は、少しでも情報の客観性を保つために、論文や書籍を引用したり、データをとったり、実地で調査したり、実験したり、経験則をためたりして、それを公開する(空想に陥らないようにする)必要があるわけですね。

そして読み手は、常に冷静に、一歩引いて、自分の理解が客観的かどうか(空想に陥っていないかどうか)を判断する必要があります。

 

     *

 

(やや余談)

ちなみにマジックナンバーではないですが、以前にサイトの編集を担当していたとき、数字がタイトルで持つ意味について調べたことがありました。同じ内容の記事のタイトルに数字を入れたものと入れなかったものを用意して比較したり、内容自体をマジックナンバーを意識したものとしなかったものと分けて比較したりしたのです。

結果、得られた所感は、大まかに以下のような感じでした。

 

  • 正直、そこまで違いはない。敢えて言うなら次のような感触が得られた。
  • 1〜4は、ノウハウ系の記事で有効、特にタイトルに数字を入れると効果がある。
  • 5〜8は、どんな記事でも効果的ではない気がした。
  • 9〜15は、チェックリスト系の記事で有効、タイトルに数字を入れてもあまり意味はない。
  • 16以上は、どんな記事でも効果的ではない気がした。

 

サイトのジャンルや記事の長さなどによっても効果のほどは変わってくるでしょうから、一概には言えませんが……。

 

さらに余談ですが、こうしたテーマを考える上で、Susan Weinschenk氏・著『インタフェースデザインの心理学』が、個人的にはすごくオススメです。マジックナンバーについても「科学的に」ふれています。少し前の本ですが、いまにも生きる内容だと思います。

 

インタフェースデザインの心理学 ―ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針

インタフェースデザインの心理学 ―ウェブやアプリに新たな視点をもたらす100の指針

 

 

     *

 

このように「自分が正しいと思い込んでいること」を補強するために「想像を転用」=「空想」してしまっているケースは、思いのほか多い気がしています。

 

ライティングでいえば、まず「伝えたいことありき」で、それに説得力をもたせるため強引に理屈をつけてしまっているケースなどですね。そして、そうした記事は大抵、どこかに無理(矛盾や飛躍など。最悪の場合、嘘)が出てくるものです。

 

もちろん、これはライティングに限りません。あらゆる仕事や日常生活で同じことがいえると思います。

わかりやすいのが、芸能人に対する「可愛いだけ」「綺麗なだけ」といったコメントではないでしょうか。スポーツ選手に対する「あの人たちには才能がある」といったコメントも同様ですね。これも空想の悪癖の一つだと思います。

 

筆者はニート時代、テレビ番組の企画の仕事に協力したことがあり、そのとき数名ですが、元・スポーツ選手の方と仕事をさせていただきました。そのとき知ったのは、皆さん例外なく、尋常ではない量と質の努力を積まれており、そして「もっと上手くなりたいんだ」という怨念めいた情熱を持たれている、ということでした。

目に見えない部分は想像するよりほかありません。ですが、こうした目に見えない部分を「自分に都合よく」想像する=空想することで溜飲を下げるという誤った方向に想像を用いてしまうと、なにも生まれません。

 

想像とは本来、自分の殻を破るために、世界を広げるためにあります。ですが、ひとたび空想に転じると、自分を殻に閉じ込め続けるだけになりかねません。そして、それは本当にもったいないことだと切に感じます。

空想する前に、まず「確かめる」「調べる」という癖をつけるだけで、世界は思いのほか広がる気がします。知ることは、まさに世界を広げることですから。

 

 

……そんなこの記事も、激しくブーメランという。苦笑。

 

 

-----

《露骨な宣伝》

趣味で海戦の小説を書いていたりします。

 

広告を非表示にする