ニートだった4年弱の間に10回くらい新人賞に応募しましたが、最初から結構な期間ついてまわった要改善点の一つが「説明が説明臭い」でした。今回はこの説明臭さの払拭について、自分なりに検証してみた結果を振り返りたいと思います。
検証方法
応募するたびに「こうしたらいいんじゃないか?」と思った手法を試し、それに対して戻ってきたレビューに「説明臭い」および同義のコメントがついた場合、手法に効果はないと判断。逆にコメントがつかなければ、一定問題はない=ある程度は効果的な手法と判断。
そこまで信頼性を担保できる検証法ではないこと、検証回数が少ないことから、参考程度にお読みいただければと思います。
というわけで、簡単にですが、3つ紹介したいと思います。
1:ストーリーを補完する一文として入れ込む
主にキャラクターの特徴を説明する場合のやり方です。異能バトルでいう能力の説明などのイメージ。
例えば、作品や各章の冒頭でいきなり「この世界には、こういう能力を持った人たちがいます。その能力とはこういうものです」などと書き出すと、当然ながら淡々と説明が続くだけですので、だいたい「説明臭い」と判断されました。
ただ、作品の要となる設定は序盤できちんと説明しておかないと、読者がその後のストーリーについてこられなくなります。
では、どうするか?
筆者がよく使うのが、ストーリーを補完する一文として説明を突っ込んでしまうという方法です。例えば、バトルものを書く場合、冒頭でまず一戦バトルを起こします。そして、その展開に合わせて世界観や異能について説明します。ヒロインと衝突させると彼女のキャラクターを立てることもできるので、一石二鳥ですね。
余談ですが、ストーリーの最序盤で主人公とヒロインを激突させるのは、バトルものラノベのテンプレと化しているようにも思います。有名どころとしては『落第騎士の英雄譚』『最弱無敗の神装機竜』『学戦都市アスタリスク』などに、この形が見られたように記憶しています。ですので(今ならまだ)新人賞をめざす上でも良い方法ではないかとも。

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ただこの場合、バトルの演出内容を、説明すべき内容にある程度は寄せる必要があります。そうしないと説明部分だけが独立して見えるからですね。そうなると読者の飽きにもつながりますし、また読後に違和感を与えてしまうかもしれません(突然関係ない話が挿入されているように映るため)
ですが、あまり説明に力を入れ過ぎると、バトルそのものが胡散臭くなるリスクもあると思います。
魔法によるバトルを考えてみましょう。条件として、魔法には属性があり、炎は水に弱い、水は風に弱い、風は土に弱い、土は火に弱いという相性が設定されているとします。
この時、敵が水の魔法を使い、それを主人公が風の魔法で迎撃。それをもって属性間には相性があることを説明するとした場合、通常は「迎撃シーン」→「相性の説明」といった順番の構成になるでしょう。
ですが、これはいわば「後付け」のようにも見えてしまうわけです。文字どおり後から出てきているので。
ストーリー序盤であれば、この違和感は少ないと思います。そうした説明があっても、ある程度は「あって然るべきもの」ですから。
一方で後半にいけばいくほど、この手法を見かけた読者は、上記の「後付け感」を抱きやすくなると筆者は思っています。言い換えれば、この手法はストーリーの後半での使用を可能な限り控えるべきではないかということですね。
2:感情の起伏がある場面に混ぜ込む
読者の感情に訴える方法も、一つの方法ではないかと思います。揺さぶる感情は、感動や恐怖、興奮や共感などなど、なんでもかまいません。
これは大好きなラノベであり、最も創作の参考にしている『りゅうおうのおしごと』を読んでいて思った手法です。シューマイ先生のお店で天衣の過去が明かされるシーン(感動がフック)、竜王位防衛戦で月光会長が鵠に請われて対局を説明するシーン(興奮がフック)などを参考にしています。
この手法はストーリーの中に説明を盛り込まないので、説明を説明のまま書きます。ですが、単に説明するのではなく「読者の感情を揺さぶる」という点をフックとして、説明臭さを消すことをめざしています。
(なんで商品貼り付けの検索、Kindle版しか出てこないんですかね?)
そもそもなぜ淡々と説明だけが続くと、読者がついてこられないのか?
一つの、そして最も大きな答えは「飽きるから」でしょう。
では、なぜ説明だけが淡々と続くと、読者は飽きてしまうのでしょうか?
その理由を自分なりに考えた結果、「感情の起伏がないから」だと思うようになりました。この手法は「そこを解消できれば、説明を説明のまま書いてもいいのでは?」という視点から発想されています。
特に確たる根拠のない、実体験に基づいた経験則ですので、実際どうなのかは正直わかりません。
ただ、このやり方をけっこう取り入れた作品で新人賞に応募しても、レビューで「説明臭い」的なコメントをもらったことがないので、一定効果的ではないかと思います。
筆者はバトルシーンのあるファンタジー作品を中心に書きますが、作中の第2〜3のバトルで説明を要する場合は、「興奮」や「感動」をフックにすることが多いです。
例えば「興奮」をフックにするやり方としては、戦闘シーンを書くときに中2表現を多く用います。「史上最強」などの。この手のワードは耳にするだけで興奮を誘える(ことが多い)ためですね。あとは、あえて青臭い表現を使ったり、格好をつけた言い回しを交えたりします。
なお、この手法に関して一点、意識していることがあります。
それは「長くなり過ぎない」こと。
前述した内容と逆のことを言ってしまいますが、この手法だと当該部分が心理描写や説明のみとなるので、長くなり過ぎるとさすがに飽きられるだろうとも思っています。そのため「改行を多めにする」「一段落を短めにする」「端的にまとめる」などにも気をつけています。
ちなみに、1と2の違いがわかりにくいという方もいらっしゃるかと思いますが(筆者もぶっちゃけそこまで大きな違いを感じていません。<おい。苦笑)、1は基本的に「世界観」の説明で、2は「キャラクター」の説明で使うことが多いです(そこまで厳密に使い分けているわけではありませんが)
3:対立を煽る
これも説明を説明のまま書く手法です。
ですが、読者の感情には訴えません。かわりに、キャラクター同士を対立させることで、説明への関心を持ってもらう(ことをめざす)手法です。
対立というのは、それだけで人々の興味を誘えると思っています。インターネット上で持論をぶつけ合う人々がたくさんいることからも、それはご理解いただけるのではないかと。
また『朝まで生テレビ!』や、かつて放送されていた『真剣10代しゃべり場』などの「討論番組」というジャンルがあることからも、人々は立場や意見の対立に強い関心を寄せるものだと判断しました。朝生は今でも続く超長寿番組ですし、10代しゃべり場も5年くらい続いた大人気番組でしたから。そして「討論」とは、持論を「説明し合う」面があります。よって、このスタイルはいけるはずだと思ったのです。
この手法はその心の動きに注目し、キャラクター同士を対立させることで読者の気を惹けるのではないか、という発想に基づいています。
例えば、拙作『高卒参謀長と《白鯨殺し》の少女』の中に、レイナとクローディアによる極めて長ったらしい戦略の応酬がありますが、あれはイグニス海軍の戦略的配置をそのまま説明すると絶対に中弛みすると思い、二人の対立という形を取りました。
また、もう一人のヒロインであるジャンヌとその上官のベルガは同じ海軍の所属ですが、ジャンヌを不遇の環境に置いて二人を対立させる形にしたのは、史実としてそういう事例が多いことを紹介したかったことが第一の理由ですが、説明が多くなりがちな展開の中で少しでも説明臭さを消すため、というのも大きな理由でした。
こうした上記3点あたり(実際にはもう少しあるのですが、自分の中でもまだ腹落ちし切っておらず、うまく言語化できないので割愛しました)を意識し始めてからは、このあたりに関してレビューでも一定の評価を頂けるようになりました。
*
こんなところでしょうか。
ただ、上記はあくまでも理論上の話です。書き手の文章力などは無視しています。言い換えれば、読ませるだけの文章力があれば、淡々と説明が続くだけでも問題ないと思います。
また、いずれのやり方も作品の設定やストーリー展開と絡んできますから、説明臭さを消そうと無理をしてそちらの魅力が削がれてしまったなどとなると、もはや本末転倒です。そのため、もちろん説明臭くないことを意識はしつつも、やはり好きに書くのが一番だと思います。
世に出ているラノベの中にも、説明を説明として書いている作品はたくさんあります。例えば『落第騎士の英雄譚』はアニメ化されたほどの人気作ですが、1巻の最序盤で世界観についての説明が地の文だけでストーリー展開とも特に絡むことなく、淡々と行われていたように記憶しています。
・・・
最後にこんなこと書くのもなんですが、読み直していて「少しわかりにくいな・・・」と思いました。まる。<おい。
そのため、後日にちょこちょこ手を加えるかもしれません。ご容赦ください。