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コーベット『海洋戦略の諸原則』vol.004|限定戦争は海洋においてこそ最も力を発揮する

《参考図書

  • コーベット『海洋戦略の諸原則』(原書房、矢吹啓訳)

 

《今話で取り扱う範囲》

  • 限定戦争と海洋帝国(第1部・第4章)

 

     ◇

 

限定戦争は海洋においてこそ最も力を発揮する

今回は第1部・第4章です。ここでは「限定戦争」と海洋帝国(端的にはイングランド)の関係について語られています。

前回の「無制限戦争」と「限定戦争」の定義から考えますと、前者は全般的に「攻勢」であり、後者は「防勢」であることが分かると思います。ですが、たとえ相手が無制限戦争をしかけてきて、かつそれに敵わないと分かっていても、だから防勢をとる必要があるとは限りません。その理由を、コーベットは「アウステルリッツの戦い」を例として説明します。

 

 

たとえば、アウステルリッツの戦いにおいて、オーストリアはナポレオンから北イタリアを奪うことを目標としていました。このときオーストリアは、望む領土を占領するためにカール大公の主力軍を派遣しましたが、その隙をついてナポレオンは直ちにウィーンを攻撃し、オーストリア本国軍を壊滅させ、首都を占領してしまったのです。

ここから分かることは、すべての戦略的攻撃=攻勢は、少なからず自国のある地点を無防備にしてしまうため、多かれ少なかれ、その防衛のための準備=防勢が必要になるということです。そして、このとき前者の勢力よりも、後者の勢力のほうがはるかに大きくなる傾向にあると言います。

 

ここからクラウゼヴィッツは、戦略目標の領土が自国に近ければ近いほど、そこへ向けられる攻勢行動が自国を守ることにもつながることを示したとコーベットは言います。これは言い換えれば、限定戦争が正当化されるためには、この戦略目標がどこにあるのか(目標の地理的位置)が非常に重要になる、ということですね。もっとも、これはあくまでも陸軍の理論であるため、海洋においては、もう少し理論を発展させて考える必要があります。

 

とにもかくにも、限定戦争の実施が正当化されるためには、以下の2つの条件が必要となるわけです。

 

  1. その戦略的目標が、敵にとって、無制限の努力を用いるのも厭わないほど重要ではないこと
  2. もし仮に重要な場合、無制限に戦う上での障害があること(障害があれば、無制限戦争はできない)

 

もし、この両方が満たされない、つまり敵にとってその戦略的目標が死に物狂いで保持しなければならず、かつそうすることに一切の障害が存在しない場合、敵はこちらの領土的目標を無視して、本国の心臓部を攻撃しに現れます。前述のナポレオンのように。それによって、こちらに目標の奪取を断念させるように強いるのです。

 

さて、では海洋に目を向けると、この限定された領土的目標をめぐる戦争は、どんな姿に変わるのでしょうか?

 

実はジョミニクラウゼヴィッツも、海洋戦争における限定戦争の価値について、ほとんど考察していません。おそらく、彼らがあくまでも陸軍参謀だったからでしょう。

よって、ここからはコーベット自身の言葉で語られるわけですが、彼はまず、海洋で実施される限定戦争において重要なのは、次の2点だと言います。

 

  1. 自国にとっての領土的目標を、孤立させるだけの力を持っていること
  2. そこに価値を見出した敵国が無制限戦争に移った際、それを跳ね返すだけの防衛力が本国(首都)にあること

 

陸において、この条件を完全に満たすことは、かなり難しいです。たとえば、ある交戦両国の国境が隣接していた場合、たとえ(1)を満たしていても(2)によって状況が覆され得るからです。また、国境が接していないとしても(たとえば、あいだに中立国があるなどしても)、敵国にとって領土的目標が十分に価値を持っている場合、中立国を侵略してでも攻めこんでくるでしょう。仮に中立国が強いとしても、今度は同盟を結んで交通路を確保する可能性もあります。

 

しかし、海においては事情が異なります。まず、島々は海によって隔てられているため、そもそも孤立しています。この段階で(1)については、すでに条件が満たされていますね。

そして、重要なのは(2)ですが、イングランドはこの(2)を完全に満たした数少ない国家でした。それ故に、海上の覇者として君臨することができたと言えます。イングランドは他国と国境を接していないため、本国を防衛できる艦隊力を保持していれば(2)を完全に満たすことができたのです。

 

こうした背景からコーベットは、限定戦争は海上においてこそ、真に実行することができた、とまとめます。つまり、限定戦争とは「完全な島国、海に隔てられた国家」が、「本国を防衛できるだけの艦隊力をもって海を支配する」限りにおいて、実現可能だというのです。

 

哲学者として有名なフランシス・ベーコンは、こうしたイングランドの強みを明確に意識し、かつそれを見事な一言にまとめてみせました。曰く「海を制するものには大きな自由があり、望むままに戦争をしたりしなかったりすることができるが、陸上で最強のものはそれにもかかわらず何倍も窮境にある」

ここから分かるのは、限定戦争とは、交戦国の軍事力そのものの大きさではなく、決定的瞬間にそれを集中することができるのか、もしくはそうする意志がある軍事力がどれだけあるのか、という問題を踏まえる必要がある、ということです。ベーコンの「望むままに戦争をしたりしなかったり」というのは、まさにこの「集中」のことを指しています。

 

さて。ここまで見てきたことで、陸上と海上における「限定戦争」と「無制限戦争」の区別が明らかになりました。

陸上においては、両者の区別はあまり明確ではありませんでした。限定戦争をしかけたはずが、敵国が領土的目標の重要性ゆえに無制限戦争で反撃してくるケースなどは容易に想像されますし(繰り返しですが、ナポレオンの例)、事実、歴史的にも存在してきました。その違いは、いわば「戦略的な領土目標の重要性」という精神的要因によって左右されています。言い換えれば、精神的要因以外に、無制限戦争を阻む障害が存在しないということです。

一方、海洋においては、両者を区分するのは精神的要因だけではありません。重要性という精神的要因による区分はもちろん存在しますが、そもそもの「海」によって区分される可能性も高いです。イギリスが四方を海に囲われていることで、そもそも敵が侵略しにくいというのが好例ですね。この「海」が、相手にとって克服することができない物理的障害として立ちはだかることで、戦争を限定することができるかもしれないのです(陸上と違って、海上の移動はとにかく制約が多いです)

 

あえて簡単にまとめてしまうならば、海洋においては、相手が無制限戦争をしかけにくい物理的な条件がそろいやすいため、こちらが限定戦争で対抗しても成功する目があるということです。

 

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《露骨な宣伝》

趣味で海戦の小説を書いていたりします。

 

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