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クラウゼヴィッツ『戦争論』vol.008|優れた将帥には軍事的天才が求められる

《参考図書

 

《今話で取り扱う範囲》

  • 軍事的天才(第1篇・第3章|〜p.98)

 

     ◇

 

優れた将帥には軍事的天才が求められる

第3章は「軍事的天才」と題されて、戦争の天才について考察していきます。

 

ここでいう「天才」とは、人を指してはいません。周囲から抜きん出た知性と情意(感情)を併せ持った精神のことを意味しています。つまり「軍事的天才」とは、戦争に関係する知性や情意が抜きん出たレベルに達している精神のことです。

 

国民の多くにこの「軍事的天才」が行き渡っていると、この国の軍隊は非常に強いものとなります。ですが一方で、国民のほとんどに「軍事的天才」が見られないと、この国の軍隊は非常に弱いものとなります。これを言い換えて、クラウゼヴィッツは「文明国からしか軍事的天才に優れた真の将帥は現れない。文明国でなければ、知性が欠けてしまう」と述べます。

 

さて、ではこの「軍事的天才」について具体的に見ていきましょう。まず構成する要素は以下の通りです。

 

 

・勇気

将帥に最も必要な第一の特性は「勇気」であるとクラウゼヴィッツは説きます。なぜなら、戦争の本領は「危険」だからです。そして、この勇気には大きく2種類あります。

 

  1. 戦闘者が自分自身に及ぶ個人的な危険を無視する勇気
    1. 個人的資質に基づいて発揮される、このタイプの勇気
    2. 名誉心や祖国愛に基づいて発揮される、このタイプの勇気
  2. 自分自身の行動に責任を持つ勇気

 

クラウゼヴィッツは、ここでは1についてのみ詳しく説明しています。

 

1-1の意味での勇気は、生来的・習慣的な傾向を持っています。つまり、恒常的に発揮されるタイプの勇気です。言い換えれば、その持ち主から決して分離されない性質の勇気であるため、1-2よりも確実に発揮されるのが特徴です。一方、1-2は、ときに1-1よりも行き過ぎた勢いを示すことがあります。

 

生来的というのは、もともと生まれつき軍事的天才を身に着けているといったニュアンスですね。生まれついてのものであれば、それが自然と発揮されても不思議はありません。

習慣的というのは、癖になっているといったニュアンスです。何度も同じことを繰り返していると、それが無意識に発揮できるようになる体験は誰もがしたことがあるでしょう。最初はぎこちなかった掛け算が、九九を反復しているうちに自然とできるようになる感じです。

 

1-2がときに1-1を超えて激烈化するというのは、なんとなくイメージがつくのではないでしょうか。祖国のために戦争に殉じた人々がいたことは歴史的にも多くの事例があります。

 

そしてクラウゼヴィッツは、前者は剛毅の点で、後者は勇敢の点で勝っており、知性の点では前者は常に冷静に発揮されるが、後者においてはときに混迷を極めることもあると述べます。

剛毅とは、簡単にいえば意志が強いことです。勇敢はそのままですね。恐怖や不安に打ち克つことです。

噛み砕いてしまえば、前者1-1は冷静沈着で、後者1-2は勇猛果敢、つまり冷と熱といったイメージです。だからこそ、常に落ち着いている1-1のタイプの人は、知性を冷静に発揮することができます。一方で1-2のタイプの人は、ときに感情的になって突っ走ってしまうため、冷静な判断ができないことがあるわけです。ですが、逆に1-1の人は、勇猛さという点では、1-2には敵いません。

 

ここまでを簡単にまとめると……。

まず、1-1の勇気は、どんな状況においても動じず、常に冷静に知性を発揮し、こうすべきだという意志を貫徹して乗り切ることができることです。だが、勇猛さという点では1-2に劣るため、とんでもなく大きな恐怖が押し寄せると、ときに揺らいでしまうことがあります。

対して、1-2の勇気は、とてつもなく熱情的です。そのため、ときに感情に引っ張られてしまい、冷静に知性を運用することができず、突っ走ってしまったりしかねません。ただ、その勇敢さは1-1よりも遥かに優れており、どんな恐怖を前にしても自らの意志を貫徹しようとします。たとえそれが命を賭けるようなことであっても。

 

そしてクラウゼヴィッツは、この2つの性質が合一されている状態こそが、将帥が持つべき完璧な勇気であると言います。両者が揃ってはじめて、戦争において求められる勇気となるわけですね。

 

ちなみに、2の勇気については、あとで出てきます。

 

     *

 

・忍耐力

次にクラウゼヴィッツが「軍事的天才」の構成要素として挙げるのは「忍耐力」です。

戦争が本領とするものは「危険」以外にもあります。たとえば「肉体的困苦」と「精神的困苦」です。戦争に伴う肉体的・精神的苦痛が尋常ではありません。これに耐える力が必要です。

 

・知性

戦争の本領としては、さらに「不確実性」「偶然」があります。

この点については、これまでの記事でも何度も述べてきました。戦争は交互作用のみに支配されて動くようなものではありません。現実の戦争は「確からしさの法則」に支配されています。政治的目的をどれだけ達成したいと思うか、そのときどきの戦況の変化などから、戦争には必ず「不確実性」がつきまといます。

 

将帥は勇気と並んで、この「不確実性」と「偶然」のなかから真実を掴む必要があります。ですが、それは簡単なことではありませんでした。この不確実性をいかに下げるか(不確実な状況のなかでいかに確実な決断を下すか)、偶然を必然に近づけるのか(多くの偶然のなかからいかに最も起こり得るものを見抜くのか)、それができなければ勝利はありません。

 

そのために必要なものとしてクラウゼヴィッツが挙げるのが「知性」です。

 

戦争においては、情報や資料は常に不確実で、また戦況には常に偶然が介入します。よって、将帥は事前に思い描いた通りに作戦計画を進められることはまずなく、常に最初の計画を放棄して、都度都度それを修正していかなければなりません。ですが、そのための時間的余裕はないことがほとんどで、大抵は即断即決を迫られます。

 

さらに厄介なことに、戦争における不確実性は、情報が手に入るたびに増す一方だということです。

なぜそんなことが起こるのでしょうか。それは、情報は大抵の場合、一斉に手に入るのではなく、逐次やってくるからです。将帥は常に情報に振り回されることになるわけですね。最初はAという情報が手に入ったのに、あとから実はnot Aだったという情報が手に入る、そんなイメージです。

たとえば、敵は最初、Aという陣容を敷いていたという情報が手に入ったのに、しばらくしてBという陣容を敷いていたという情報が手に入る、しかし実際に遭遇してみるとCという陣容だった。そんなことが普通に起こり得るのが戦争ということです。

 

このように不確実かつ偶然が支配する戦争において、将帥は(上述の通り)2つの特性が求められることになります。その二つとはもちろん「知性」と「勇気」です(なお、ここで「忍耐力」が挙がっていないのは、これが肉体的苦痛や精神的苦痛に耐える力であり、不確実と偶然のなかで決断や行動を起こすことに直接関係するものではないからだと筆者は判断しています。この「忍耐力」は「知性」や「勇気」を発揮するための土台というイメージだからです)

 

     *

 

 これに関連して、クラウゼヴィッツ「精神的瞥見」(クゥ・ドウィユ)と「果断」という概念を導入します。

これらは知性と勇気の発現のあり方として用いられています。簡単にいえば、知性を発揮するときは「精神的瞥見」として発揮されなければならず、そして「勇気」を発揮するときには「果断」として発揮されなければならない、ということです。たとえば、戦争のために知識を身に着けたとしても、それを運用するときに熟考したりしていてはいけないよ、と言えば分かりやすいでしょうか。

 

さて、ではこの2つの概念について具体的に見ていきましょう。

 

「精神的瞥見」とは、もともと「時間と空間を踏まえて的確な決断を下す」といった意味合いで使われていた単語でした(たしかフランス語だったかと思います)。それがだんだん「実行を迫られた瞬間に適切な判断を下す」を意味するようになったそうです。たとえば、攻撃すべき適切な地点を瞬間的に見抜くといった具合に。

ちなみに、旧来の意味と現在の意味の違いは「時間感覚」です。前者には長考や熟考が伴いましたが、後者は反対に迅速さが求められます。

 

「果断」とは、先に出てきた勇気のうち、2の勇気すなわち「自分自身の行動に責任を持つ勇気」に伴うものです。体の危険に対する勇気ではなく、心の危険に対する勇気ですね(1の勇気は、体の危険に対する恐怖→死の恐怖です)。言い換えれば、疑惑にもとづく苦悩や躊躇から来る危険を除去するような心の働きです。

つまり「勇気」を発揮するとき、正確には「自分自身の行動に責任を持つ勇気」を発揮するときは、躊躇などしてはいけないわけです。

 

ただ、クラウゼヴィッツによれば、この「果断」は高度な知性と必要な勇気を持ち合わせているだけでは生じません。それは必要な知性と勇気を併せ持っているにも関わらず決断を躊躇してしまう将帥が多く存在したことからも自明です。本当にその決断が正しいのか迷ってしまうわけですね。そうなってしまうのは、もちろん戦争に不確実性と偶然性が伴うからです。

 

この「果断」を発揮するのに必要なのは、知性や勇気(1の勇気)が独特の方向(軍事的方向)を向いているかどうかだとクラウゼヴィッツは言います。言い換えれば、戦争の目的とするところをきちんと見据えているかどうかですね。たとえば、死の恐怖に負けてしまうと、戦争のなかで行動に責任を持つことは難しいでしょう(その場から逃げ出してしまうかもしれません)。また、即断即決を行ったりすることもできません。

 

・沈着

ただ、この勇気、忍耐力、知性を備えていたら十分かと言うと、決してそうではないとクラウゼヴィッツは言います。そして次に「沈着」というものについて語ります。戦争は不確実性と偶然にあふれているため、予期せぬ事件に直面しても動じることなく、適切な対応がとるためには沈着であることが必須だというわけですね。

 

ここまでをまとめましょう。

戦争の雰囲気を構成するものには、4つの要素があります。危険、肉体的・精神的困苦、不確実、そして偶然です。将帥はこれらに囲まれながらも、勇気と知性、忍耐力、そして沈着をもって成果を追求するわけです。

 

ここで追記しておくべきこととしては、将帥の心にこれら4つの心力(勇気やら何やら)を喚起させるのは、上述した4つの条件(危険、肉体的・精神的困苦〜)ということです。これは言い換えれば、敵の行動そのものが将帥の心に影響を与えないということ。たとえば、戦闘時間が2時間から4時間に伸びたところで、最前線の兵士にとっては一大事(それだけ危険が高まる)ですが、将帥にとっては誤差だとクラウゼヴィッツは言います。つまり、この延長によっては、上述の4条件がもたらされないのです。

 

ただし、例外があります。たとえば、戦力の消耗が顕著になった場合です。

戦闘が苦境に陥り、物理的・精神的諸力が減衰して、こちらの兵士たちが次々と無残に倒れ伏す様を見せた場合、将帥は対応を求められます。彼はまず、自らその状況を肉体的・精神的に耐え忍び、そして部下にも、そうさせなければなりません。ただ、部隊全体がもはや戦意を失いかけていると、将帥もそれに釣られて戦意を失いがちです。ですが、そこで強い意志力を発揮し、自らの戦意を奮い立たせて部下を引っ張る責任が将帥にはあります。そうすることで、部隊は再び立ち直れます。逆にこれができなければ、もはや部隊はただの烏合の衆となってしまいます。当然、部隊が大きければ大きいほど、この責任の重さも比例して大きくなります。

 

     *

 

これらを踏まえた将帥の決断や行動は、4つの様相に分かれるとクラウゼヴィッツは言います。それは「遂行力」「頑強」「堅忍」そして「情意および性格の強さ」です。次回はこの4つについて見ていきます。

 

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《露骨な宣伝》

趣味で海戦の小説を書いていたりします。

 

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