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クラウゼヴィッツ『戦争論』vol.006|戦争は相手に「勝てない」と思わせられるかどうかも重要

《参考図書

 

《今話で取り扱う範囲》

  • 戦争における目的と手段(第1篇・第2章|〜p.75)

 

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戦争は相手に「勝てない」と思わせられるかどうかも重要

第1章で、戦争がいかに複雑で変化に富んでいるのか、その実態が分かりました。戦争には「交互作用」が内在するものの、それはあくまでも理論上の話。実際の戦争は国民や政治、経済などさまざまな要素の影響を受けて、戦争を引き起こす理由(動因)が強まったり弱まったりします。

第2章では、この「変化に富んでいる」こと、つまり純粋に理論によってのみ考えられないという性質が、戦争の目的と手段にどのような影響を与えるのかを見ていきます。

 

 

まず、これまで見てきた純粋概念上の戦争がどのようなものであったかを振り返りましょう。

戦争とは、こちらの意志を相手に強要するための強力手段でした。そしてその実現のためには、敵の防御を完全に無力化する必要があります。では、この「防御を完全に無力化する」とは、具体的にどういうことでしょう。

クラウゼヴィッツは、次の3つを挫いたときに「防御の完全な無力化」が達成されると言います。言い換えれば、戦争を行うために必要な手段は、次の3つだということです。

 

  1. 戦闘力
  2. 国土
  3. 敵の意志

 

     *

 

(1)戦闘力について。

当然ですが、直接抵抗する部隊であるところの戦闘力は撃滅されなければなりません。戦力が残っているということは(その程度がどれくらいであれ)イコール防御力が残っていることを意味するからです。あるいは少なくとも、敵が戦闘=防御できない状態にまで追いこむ必要があります。

 

(2)国土について。

国土は戦闘力の供給源だからです。国土があるということは、すなわちそこで暮らす民やそこから手に入る物資があるということです。民は兵士として徴用すれば戦闘力となりますし、物資は兵器なら直接的な戦闘力に、食糧なども間接的な戦闘力となります。よって、戦闘力だけを挫いても、敵の防御を完全に無力化したとは言えません。その供給源も断つ必要があります。

 

(3)敵の意志について。

ですが、上記(1)(2)を挫いたとしても、それで完璧ではありません。最後に敵の意志が残っています。

なぜ意志まで挫く必要があるのか? 戦闘を継続する意志があるなら、まだ取り得る手段が残っているからです。たとえば、自国だけではもはや戦えなくとも、同盟国と協力して戦うことができます。

 

ここから、この3つの手段をすべて打ち砕き、敵国および同盟国が講和に調印するか、あるいは敵国民を完全に屈服させるかに至らなければ、戦争は終結しないとクラウゼヴィッツは言います。

 

     *

 

もちろん、これは純粋概念上の戦争の手段です。実際にはこうは転がりません。たとえば、防御が完全に無力となるまえに敵が講和に応じた例は、歴史上にいくらでもあります。よって、この3つの要素から成る上述の理論を一つの定理として確立するわけにはいきません。

 

では、なぜ上述のような純粋概念上の戦争は現実に起こり得ないのでしょう?

それは、第1章で見てきた通り、戦争とは不確かなものであり、ゆえに純粋概念的な戦争の概念から大きく隔たってしまうものだからです(第1章・第28節の第二の特徴。博戯としての性質などをご参照ください)

 

では、現実の戦争において、敵に調和を強制するための要因とはなんでしょうか? クラウゼヴィッツは以下の2つだと言います。

 

  1. 勝算がないこと
  2. 勝利のための代償があまりにも大きいこと

 

     *

 

(1)勝算がないことについて。

第1章で見てきた通り、戦争とは「確からしさの計算」に従わざるを得ないものです。不確実だからですね。

これは言い換えれば、相手に「勝算がない」と思わせることができれば、たとえ敵を完全に撃滅せずとも降伏させることが可能だということです。勝つことが「確からしくない」と分かれば、被害を最小限に止めるためにも、早期に降伏して講和に応じる方が良いからです。

そしてこの可能性は、相手が戦争に臨む動機(動因)が薄弱で、両国家間の緊張が弛緩すればするほど高くなるとクラウゼヴィッツは言います。

 

(2)勝利のための代償があまりにも大きいことについて。

戦争は政治的目的のために遂行されますが、その政治的目的の価値に比して払われる犠牲があまりにも大きい場合、その目的は放棄され、調和が締結されます。その方が結果的に良いからですね。なお、これは(1)よりも一般的に見られる要因だったそうです。

なお、ここで言う「犠牲」とは、次の3つを指します。

 

  • これまでに費やされた戦力
  • これから費やされるであろう戦力
  • これから犠牲を払うために要する時間

 

ただいずれにしても、ここから1つのことが分かります。それは、政治的目的はこれから起こり得ることによっても規定され得るということです。掲げた政治的目的を追求したとき、そのために払う犠牲が大きすぎると判断されるなら、当初に設定した目的を緩めるといった具合に。つまり、敵が抱く政治的目的を諦めさせる、あるいは緩めさせることにつながる「これから起こり得ること」を「確実に起こること」にできれば、敵戦力を撃滅せずとも、降伏・講和へつなげることができるわけですね。

 

     *

 

では、この「これから起こり得ること」を「確実に起こること」にするためには、どんな手段があるのか? 言い換えれば、現実の戦争において勝利を手繰り寄せるための手段(厳密には、政治的目的を達成するために踏むべき目標)とはなにか? それは次の6つだとクラウゼヴィッツは言います。

 

  1. 敵戦力の撃滅
  2. 国土の占領
  3. 政治的企図
  4. 侵略
  5. 企図の集中
  6. 疲労させる

 

(1)敵戦力の撃滅について。

これには、さらに「完全な撃滅」と「一撃または数撃を加える」の2種類があります。前者であれば、相手は政治的目的の達成を不可能と考えさせることで(そもそも敵わない→勝算がない)、降伏・講和に応じさせます。後者であれば、敵にこちらの優位を思い知らせて将来を危惧させることで(相手が優位→勝利のための代償があまりにも大きい)、降伏・講和に応じさせます。

 

(2)国土の占領について。

これも(1)の後者と同様の理屈です。占領を通じて将来を危惧させることが目的となります。先の純粋概念上の戦争手段を分析したところでも見ましたが、国土とは戦闘力です。国土の占領とは、すなわち戦闘力の疲弊を意味します。

 

(3)政治的企図について。

これはたとえば、敵の同盟諸国を離散させたり、あるいは援助を中止させたり、逆にこちらが同盟国を募ったり、といった方法が該当します。このような政治的な施策でもって、相手に将来を危惧させるわけです。

 

(4)侵略について。

これは(2)の国土の占領との違いに注意しましょう。侵略は国土の占領と違い、その領有を目的とはしません。軍勢の徴発や掠奪を行うことで敵を消耗させるのが目的です。消耗とはすなわち戦闘力の疲弊ですから、それによって相手に将来を危惧させることができます。

 

(5)企図の集中について。

たとえば、軍事施設など戦争において重要な物件に戦力を集中して、敵の損害を増大させます。それによって相手に将来を危惧させます。

 

(6)疲労させるについて。

簡単に言えば、持久戦で相手を疲れさせます。長い戦いを強いることで軍の行動力と意志を衰弱させ、相手に将来を危惧させるのです。

この場合、こちらが取るべき手段は「純然たる抵抗」となります。なぜなら攻勢では戦力の消耗が激しく、持久戦にならないからです。ですが、完全に受動的な抵抗は、もはや闘争とは言えないためあり得ない点には注意しましょうクラウゼヴィッツが肯定するのは、あくまでも攻勢的守勢だけです。完全な防勢は退けます。この純然たる抵抗は、あくまでも敵戦力の疲弊という目的を持っているからこそ許容されるものです)

 

この(6)の代表例として、クラウゼヴィッツは、七年戦争におけるプロイセンのフリードリヒ大王(フリードリヒ2世)の戦いぶりを挙げます。当時のプロイセンにはオーストリアを打倒するだけの力がなかったため、彼は七年の長きにわたって戦力を節約し、相手を疲弊させることに集中しました。そして、それによって最終的に勝利を勝ち得たと言われています。

 

     *

 

こうして見てみると、ここまでに何度も述べてきた「戦争において敵戦力は撃滅されなければならない」という原理とは異なり、現実の戦争には目標に達する道(取り得る手段)がいろいろあることが分かります。では、これらの目標(上述した6項目。目的でない点に注意してください)は、具体的にどのように実現されるのでしょうか。その手段もまたさまざまな形をとるわけですが、本質的にはただ一つの形に落ち着くとクラウゼヴィッツは言います。

それは「闘争」です。

 

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《露骨な宣伝》

趣味で海戦の小説を書いていたりします。

 

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