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クラウゼヴィッツ『戦争論』vol.003|なぜか目的を達成しようとしない(ように見える)戦争が、たしかに存在する

《参考図書

 

《今話で取り扱う範囲》

  • そこで政治的目的が再び出現する(第1篇・第1章・第11節)
  • 軍事的行動に停止状態の生じる理由は上述の説明だけではまだはっきりしない(第1篇・第1章・第12節)
  • 軍事的活動を停止し得る理由はただ一つある、そしてこの理由は常に一方の側だけに有るように思われる(第1篇・第1章・第13節)
  • このような事情は軍事的行動に或る種の連続性を与えこの連続性はまたしても彼我双方の行動を極度に至らしめるかのように思われる(第1篇・第1章・第14節)
  • そこで両極性という原理を立てることが必要となる(第1篇・第1章・第15節)

 

     ◇

 

なぜか目的を達成しようとしない(ように見える)戦争が、たしかに存在する

vol.002によって、戦争は外部から様々な影響を受けることが分かりました。ゆえに戦争を「交互作用」だけで考察するのは不適切だ、というのがクラウゼヴィッツの主張でしたね。

それにつづく第11節では、この「外から戦争に影響を与えるもの」には具体的になにがあるのか、その影響はどんなものなのかを考察しています。

 

 

その最たるものとして、クラウゼヴィッツは「政治」を挙げます。

vol.001で、クラウゼヴィッツの「戦争とは、言っても分からない相手に、力で自分の意志を強要する手段である」という主張を紹介しました。そこからも分かる通り、彼は政治と戦争を不可分のものであると考えています。戦争は相手国にこちらの要求を受け入れさせるための最終手段としてあるわけです(通常は外交政策などでこの要求を実現しようとします)。ただ、この戦争の政治的目的、つまり「こちらの意志の強要」が、常に100パーセントの形で達成されないことは、vol.002で見た通りです。

 

そうなると、この「戦争の政治的目的」をどこまで達成するのかという「程度」が次の問題となります。当然ですが、この目的の達成率はなるべく高いほうが良いですよね。どの国も、70パーセントよりも80パーセント、それよりも90パーセントを目指そうとします。

また、そのときどきの戦況に応じて行使する力の「程度」が変わるのも、vol.002で述べました。たとえば、相手の戦意に陰りが見えれば、必要以上に戦力を投じることなく講和をちらつかせて停戦を引き出すなどといった選択肢が出てきます。そのほうが、こちらも消耗することなく戦争を終結させることができるので、国としても良いですよね。最後まで戦うよりも人手や物資を節約できる=疲弊せずに済むわけですから。

つまり、ここから次のことが分かります。すなわち、戦争の政治的目的の「程度」=「こちらの意志をどこまで相手国に強要するか」は、これから投じるべき戦力の「程度」も規定するということです。

 

このように「戦争の政治的目的」を考える上では、2つの程度に注意する必要があります

  • 政治的目的の実現の程度(どの程度まで目的を達成するのか)
  • これから投じるべき戦力の程度(達成のためにどれだけの戦力を投じるべきなのか)

 

それでは、この「程度」を判断する上で材料となる情報はいったいなんでしょうか。クラウゼヴィッツは、それを「国民である」と述べるのですが、その詳細はここでは語られず、第12節では話の内容が変わります。

 

     *

 

第12節は一転、話が変わって「軍事活動の停止」について取り上げています。

本節でクラウゼヴィッツは、戦争において政治的目的を追求する国同士が、ときに軍事行動を完全に停止することがあると言います。そして、その理由はこれまで述べてきた戦争の考察からは引き出せないとも。

(なお、ここでいう「軍事活動の停止」とは、戦闘のための準備などで一時的に活動を停止している状態ではない点に注意してください。たとえば、ある軍が行軍しているとき、後続が追いつくのを待つために前衛が一時的に行軍を停止するといった事態は含まれません)

クラウゼヴィッツの分析に従うならば、戦争とは「政治的目的の達成」=「自らの意志の強要」を目指すものです。ですが、この軍事行動の停止は言わば「その目的の達成を放棄している」状態だと言えます。果たしてこんなことがあり得るのでしょうか。

 

     *

 

クラウゼヴィッツは「そうなる可能性が、ただ1つだけある」と言います。それは「互いが有利な時機を窺うとき」です。

しかし、彼は「有利は常に一方の側に属する」とし、この可能性を一蹴します。A軍が有利なら、相対するB軍は必然的に不利ですので、A軍が動くはずだということですね。動かなければ、せっかくの好機を逸することになってしまいます。

 

では、仮に両軍の勢力が完全に均衡している場合はどうでしょうか。

この場合でも、両軍が完全に軍事行動を停止することはないとクラウゼヴィッツは言います。なぜなら、このときはより積極的な「政治的目的」(相手に強要したい意志)を持っているほうが動くからです。

たとえば「領土の一部を占有して、講和時の交渉材料とする」ことを政治的目的とする国がある場合、彼らは目的とするところの領土を奪取しなければなりません。そして、そのためには当然、攻めることが必要です。

つまり、勢力が均衡しているからといって軍事活動を完全に停止しては、この国はそもそもの戦争をしかけたところの政治的目的を達成することができません。これでは本末転倒です。

ゆえに彼らは、たとえ100パーセントの達成は困難だとしても、この達成率をなるべく高めようと軍事行動を起こすことになるわけです。

 

よって、もし本当に軍事行動を完全停止する瞬間があるとすれば、それは片方が目的を達成したとき(この例で言えば講和時)しかあり得ない、それがクラウゼヴィッツの考えです。

 

     *

 

さて。そう考えると、戦争とは常に動いている、連続しているものだと考えることができます。ですが、先にも述べた通り、クラウゼヴィッツが目にした現実は違いました。実際の戦争においては、なぜか軍事行動を完全に停止している時間がたしかに存在するのです。これはいったいどういうことなのでしょうか。

 

この問題を解決するために、クラウゼヴィッツ「両極性」という概念を打ち立てます。

これは「同一の対象について考えられ、またその際、正量がその反対物すなわち負量を完全に消滅させるような場合にのみ妥当する」と定義されています。

簡単に言えば、戦争は片方が勝利すれば、片方は必ず敗北します。A国が勝利と敗北を同時に達成することはあり得ません。言い換えれば、A国が勝利すれば、相対するB国は絶対に敗北するわけです。これが両極性です。

 

さて、これが先の問題にどう絡んでくるのでしょうか。その話は次回に回します。

 

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《露骨な宣伝》

趣味で海戦の小説を書いていたりします。

 

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